唐津焼の陶芸家 井上浩一

唐津焼の源流と言うべき、李朝陶磁器の美しさに心ひかれて、人の心に優しくつたわるものが出来たらと思います。

画像のクリックで拡大

小田志の空は今日も青い。慶長年間李朝陶工たちが空を見上げながら無心に轆轤(ろくろ)を廻し作り伝えた長い歴史と伝統に培われた技術に心ひかれ、人の心に優しくつたわるものが出来たらと思います。

朝鮮古陶磁に流れる清楚静寂素朴な奥行の深さを少しでも具現できるように努力いたして居ります。

規窯 井上浩一

画像のクリックで拡大

唐津焼の魅力

画像のクリックで拡大

 唐津焼は砂目と呼ばれる、粗く渋めの素地がもたらす、素朴で温かい力強さが特徴です。また「料理を盛ることで引き立つ」用の器でもあります。貫入(釉薬にヒビが入ること)により、使い込むほどに土色が変化して美しくなると言われています。

 唐津焼には数多くの種類があり、どれも個性的でその表情は変化に富んでいます。代表的な唐津焼に「絵唐津」、「朝鮮唐津」、「斑唐津(まだらからつ)」、「三島唐津(みしまからつ)」などがあります。

唐津焼の歴史

 唐津(現在の佐賀県唐津市)は対外交易の拠点であったため、安土桃山時代に陶器の技術が伝えられ、その積出しが唐津港より行われていたことで「唐津焼」の名称となったと言われています。

  本格的に作られるようになったのは、文禄・慶長の役の頃からと言われています。この頃に朝鮮から連行された陶工たちが藩の擁護のもとで技術を研鑽して唐津焼のスタイルを確立させました。

  はじめのころは主に日用雑器が作られていましたが、素朴さと侘びが兼ね備わっていたため次第に茶器などの茶道具としても用いられるようになり、桃山時代には数々の名品を生み出すまでになりました。

  明治時代になると、唐津焼は藩の擁護もなくなり一時は衰退しましたが先人たちの努力により、現在では復興し伝統的な技法を継承するかたわら、新しい試みを行うなど着実な進歩を遂げています。

武雄古唐津焼

画像のクリックで拡大

 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の時、宗伝を初めとする朝鮮の陶工たちが日本に帰化し、現在の佐賀県武雄に開窯したのが、武雄古唐津の起源とされています。

  それから400年を経た現在も、その技術・技法を継承して、昭和63年6月には、通商産業省の伝統工芸品の指定を受けました。武雄古唐津焼は、今も茶器、食器、置物などの製品として広く、民衆の生活の中に溶け込んでいます。